「ハウス病」って知ってますか?

2014年6月4週号に掲載したコラムです。

ハウス栽培とはご存知の通り、野菜などをハウスを用いて栽培すること。ハウスとは鉄材などで骨組みを作り、これに塩化ビニルやポリエチレンなどのフィルムをかぶせた作物栽培用の建物(ビニールハウス)をいう。降雨による農作物への影響を防ぐためだけの目的で上面だけ覆うものもあるそうで、それは雨よけ栽培と言うそうだが、通常ハウス栽培と言えば全てをフィルムで覆うものを指すことが多く、つまり温室での栽培を意味する。
 ハウス栽培の利点は、天候に左右されず、常に品質を保てる、寒い冬でも夏野菜が作れるなどだそうだ。ビニールハウスの設置面積は昭和40年代頃から増加を続け、今は高止まりの状況。生育期間中、石油ヒーターによる温風暖房などを利用して加温する場合、余分な経費がかかることになるので生産コストに跳ね返るが、それでも市場では高値で売れるので露地栽培だけの農業より収益を上げることが可能で、取り組む人が多いそうだ。ここまでなら何となく想像ができる。
ところが、ハウス栽培には問題もあるらしい。その一つが「ハウス病」と言われるものだ。大きく分けて三つあるそうだ。一つ目は温度の問題。温度条件を人工的に調節して年間の生産可能期間を長くする結果、現実的には農繁期が長引くため、労働負担が大きくなる。さらに、ハウスの中は高温になるので、疲労が増したり、外との温度差が大きいために、血液循環の障害を引き起こすことがあるらしい。
二つ目は農薬の問題。高温のため害虫が付きやすくなるので、どうしても農薬使用量が増える。ハウスの中では空気が循環しないために、働く人が農薬を吸入したり接触したりする機会が露地栽培にくらべ格段に高く、農薬による健康被害が働く人に出ているそうだ。
三つ目は、狭さの問題。ハウス内は狭いため、ツルや葉による接触性皮膚炎になったり、無理な姿勢での労働のため、腰痛、肩こりなど様々な痛みが頻繁に出るらしい。どうもハウス内での労働は想像以上に過酷なようだ。
 
消費者が年中トマトを食べたいとか、いちごを食べたいと求めた結果が、農家をいろんな形で追いこんでいるとも言える。消費者が、見た目は悪くてもできるだけ安全でその季節のものを、正当な価格で買うようにすれば、農家は自然の中で農作業ができるようになり、ハウス病なんてものは消えるかもしれない。それが結局、農薬の使用量を減らすことにつながり、土を守ることにつながり、我々の健康を守ることにもつながる。
また、ハウス栽培は石油や電気などの燃料を使う農業で、持続可能な農業とは言い難い。そう考えると、原発をなくして持続可能な社会にするためにも、やっぱり、季節感のある旬の農産物を食べることがいかに大事なことかがわかる。
我々消費者は、料理としてテーブルに上がってしまえば、おいしいとは思っても、どうやって栽培されたものかまではなかなか想像しない。いちいちそんなことを考えるのは負担と思うかもしれないが、せめて買う時には誰が、どこで、どうやって作ったものかを確認できるものを買いたい。無農薬が一番いいが、できるだけ露地栽培の旬のものを買うようにするだけでも、少しは世の中に貢献できる気がする。
 
平成258

しまかさんのお魚のはなし

先日、しまかさんご夫妻にはじめてお会いした。
まずは、漁業のはなし。安い魚がなぜ安いのか、安いには安い理由があることや、鮮度を保持するための薬が使われている場合があるなど、知らないことがいっぱいあった。あまりにも泳いでいる魚のことを知らなさすぎると思った。
しまかさんは3.11の震災を経験されて『子どもに生きる力をつけさせる』ことの重要性を痛感されたそうだ。宮古市でも道路は寸断され、容易に家族が会えない状況があり、一家族におにぎり1個しか支給されなかった避難所もあったそうだ。もし、父母の職場が1時間も離れた所にあった場合、子どもだけで夜を過ごすことだってあり得る。何日もおにぎり1個が続く可能性だってある。そんな時に、どう食糧を確保するか、どう水を確保するかの問題に直面する。もし生きる力のある子だったら、野原で食べられる木の実や草を見つけることだってできるかもしれない。魚を釣れるかもしれない。火のおこし方を知っていれば、腐りかけたものに火を通して食べることができるかもしれない。ナイフの使い方くらいは教えておいた方がいいなど、都会で何不自由なく暮らしている私にとっては、身の引き締まる思いがした。もう一度子育ての姿勢を改めないといけないと思った。その1つとして、しまかさんは「本当の魚の姿を知ってほしい」と思ってみえる。最近、骨のない魚の要望が多く、骨も内臓も全て取って出荷する割合が増えたそうだ。最近のレストランには魚をさばく人手や人件費を出す余裕がなく、骨のない状態で出荷しているそうだ。ある市の給食センターからは「子どもの食べが悪いから骨を取ってくれ」と言われるが、別の市の給食では食育活動の一環として「魚には骨があり、こういう食べ方をするんだよと教える教材にしたいから骨付きのままで出してくれ」と言われるそうだ。親としてどちらの教育がいいか?私は骨付きの教育がいい。魚はいのちあるもの。そのいのちをいただいて、ありがたく食べる。いのちあるものと分かれば身を残さずきれいに食べ切ろう、もったいないという思いが湧いてくる。そうすれば、箸の使い方、身のほぐし方も変わってくる。どこの海で泳いでいたものか?どうやって捕ったのだろう?という広い視野も生まれる。これが切り身で骨なしだったらそうはいかない。ただ食べる物に変わってしまい、元の姿も、いのちのことも、ありがたみも、それが採れる背景にも想像が及ばなくなる。これが加工食品の怖さだと思う。
 もう一つ、「昔のように魚を食べ、味噌汁や納豆を食べる世の中に戻れば病気も減るだろうに」とおっしゃっていた。日本の魚の消費量は年々減少傾向にあるそうだ。肉食化が進んでいる影響だろう。しまかさんのご主人はとても大柄な方で、見た目はメタボ?という感じだが、どうも違うらしい。血圧は20代の人と変わらない。高脂血症も、高血糖もなく、生活習慣病とは無縁とのことだった。昔、マグロ漁が盛んだった頃、宮古漁協に所属する船がビキニ環礁で行われた水爆実験の「死の灰」を浴びて、乗組員が被ばくしたそうだ。核実験の被害と言えば、1954年の「第5福竜丸」が有名だが、核実験をした水域には多数の漁船が留まっており、第5福竜丸ほどではないが被害が出たそうだ。その漁船はすぐに廃棄しなくてはならないほど、高濃度の放射能で汚染されていたにも関わらず、当時の乗組員でまだ長生きしている方もみえるそうだ。いろいろな影響はあると思うが、海沿いに住み魚をたくさん食べていることも関係するのではないかとおしゃっていた。『食事と健康・長生き』の問題はなかなか証明するのは難しく、専門家でも証明しきれていない。直感的に私はこう思う、たぶんこうだろうという部分がどうしても生じてしまうのだが、私も『日本の伝統食』に戻ればきっといろいろな問題が解決するだろうと思っている。これは私が得た科学的な情報と、自分が食生活を変えて元気になった経験の両方からそう思う。
私は、もっとしまかさんの話を聞きたいと思った。みなさん、聞いてみたくないですか?『魚のはなし』を。
 
平成258月  稲川

丸友しまか訪問

2014年5月3週号に掲載したコラムです。

私を含め3人のスタッフが島香さんに会いに岩手県宮古市まで行った。宮古市はとても遠い。名古屋からは飛行機で花巻空港に降り、バスで盛岡まで行き、乗り継いで宮古市に入るというルートで、なんと6時間もかかる。そんな遠くまで出かけるのは楽しみでもあったが、それ以上に島香さんにとって、何も得るものがなかったらどうしようという気持ちの方が強かった。というのは、今回の訪問の目的は丸友しまかの売り上げ回復。震災後、原発事故の影響で売り上げが激減し、3年たっても回復までに至っていない。震災後、連絡すらしてこなくなった取引先もあるそうで、その分も考えると売り上げは相当落ち込んでいる。そして東電への損害賠償請求でもご苦労されていると知らされての訪問だったからだ。私もいいアイデアはないかと考えてみたが、私一人では底が知れているので、事前に会員の友人数名にお願いして、どんなものが欲しいか、改善点は何かなどを出してもらった。なるほどと思う意見を携えて出かけられた事は本当に良かった。友人たちに感謝。仲間が多いってやっぱりいいな〜と思った。
丸友しまかの社屋は閉伊川の川沿いにある。閉伊川は宮古湾につながる川で、鮭が溯上し産卵したり、鶴が舞い降りる美しい川でもある。水産加工業というから港のすぐそばにあるのだろうと思っていたら、海に近いは近いが、どちらかというと山の登り口を上がった所にあり、海と山が近い三陸特有の地形のため、木々に囲まれたここにあるのだろうと推測できた。この立地のおかげで、津波の時は川を登ってきた海水に恐怖を感じながらも、寸でのところで津波の被害は受けずに済んだそうだ。無事でよかったと思ったのも束の間、原発事故が起き、奈落の底に突き落とされたと感じたそうだ。
島香さんのご主人は元々大型運搬船に乗る船乗りさんで、14ヶ月もの航海に出るため、家族との時間を持てないことを考え、船を降り独立されたそうだ。当初から儲けのためより、安全なもの、鮮度がいいものを届けたいという気持ちが強かったので、自然食品店を中心に取引されており、基準が厳しいことや販路が少ないなどの問題を一つひとつ解決し、ご夫婦で苦労を共にしながら二人三脚で経営されてきたそうだ。ところが原発事故でまた一からやり直しになってしまい、なんという人生なのでしょう、と笑いながら奥さんが話されていたのが印象的だった。丸友の友は独立時に多くの友人に助けてもらったことを忘れないために名付けた社名とのことだった。これ一つとってもお人柄がわかる。
宮古ではまず漁協を見せてもらい、どんな魚種があがっているかを確認した。以前だと考えられないような魚種があがってくるそうで、大地震により海に何らかの異変が起こっているのだろうとおっしゃっていた。そのために、予測がつきにくく、出荷の保障が難しいとおっしゃっていた。放射能の影響がほぼない現状だが、“絶対”大丈夫と言い切れるものを出荷しようと思うと、魚種が限られてしまうそうだ。港には魚以外のもの、つまり津波の傷跡がわかるぬいぐるみや生活雑貨などもあがっていた。
二日の間、いろいろな話をしながら、お土産屋などを回って宮古で採れるものを観察しながら、商品開発について議論した。魚を食べるのにさばく所からやるのもいいが、仕事から疲れて帰って来てさばく所からやらなくてはならないとなると、なかなか無理で、そのために魚から遠ざかってしまうのも事実なので、温めるだけ、皿に盛るだけの商品も嬉しいし、全部出来合いだと主婦としては作った感がなく空しいので、少し手を加える余地を残した商品や、いろいろなメニューにアレンジできる商品が欲しいと要望した。そして、肉より魚の方が健康度としては上で、親もそれを分かっていて、子どもに魚を食べてほしいと願っているけれど、子どもは肉を欲しがる現代なので、子どもが欲しいと思うもの、子どもには分からないように混ぜ込めてしまうものもお願いした。島香さんはこんなものが商品になる可能性があるのかと、目からうろこが落ちたとおっしゃってくださり、今、商品化に向けて試作品作りが進行している。ぜひ商品化できた際には、一度ご賞味いただけるとありがたいです。そしてご意見をいただけると、もっとありがたいです。島香さんも東北と東海では味付けが違うから、なかなか味付けには苦労するとおっしゃっていましたので、ご意見が生かせると思います。
ちなみに、帰ってから、丸友しまかの加工食品で食べたことのないものを買ってみた・・・・
二日の間、いろいろな話をしながら、お土産屋などを回って宮古で採れるものを観察しながら、商品開発について議論した。魚を食べるのにさばく所からやるのもいいが、仕事から疲れて帰って来てさばく所からやらなくてはならないとなると、なかなか無理で、そのために魚から遠ざかってしまうのも事実なので、温めるだけ、皿に盛るだけの商品も嬉しいし、全部出来合いだと主婦としては作った感がなく空しいので、少し手を加える余地を残した商品や、いろいろなメニューにアレンジできる商品が欲しいと要望した。そして、肉より魚の方が健康度としては上で、親もそれを分かっていて、子どもに魚を食べてほしいと願っているけれど、子どもは肉を欲しがる現代なので、子どもが欲しいと思うもの、子どもには分からないように混ぜ込めてしまうものもお願いした。島香さんはこんなものが商品になる可能性があるのかと、目からうろこが落ちたとおっしゃってくださり、今、商品化に向けて試作品作りが進行している。ぜひ商品化できた際には、一度ご賞味いただけるとありがたいです。そしてご意見をいただけると、もっとありがたいです。島香さんも東北と東海では味付けが違うから、なかなか味付けには苦労するとおっしゃっていましたので、ご意見が生かせると思います。

ちなみに、帰ってから、丸友しまかの加工食品で食べたことのないものを買ってみた。「ぶっかけまんま」「さんまの田舎煮」はとても美味しくて、子ども3人が争奪戦。今まで丸の魚を買っていたけれど、これなら私が作るより子どもうけするし、出すだけなので簡単。なんでもっと早く利用しなかったのだろう。魚は魚で買えばいいけれど、手軽に毎日魚と思えば、加工食品利用もありですね。添加物は使ってないから、家で作るのと変わらない安全さだし。
 
最後に、東北復興のことを少し。宮古市田老地区は津波により地域ごと壊滅してしまった地区。そこには、ただの堤防ではなく、スーパー堤防というとてつもなく背の高い堤防があった。そのスーパー堤防の上に登って下を見下ろすと、堤防の一部が根元から折れ、そこから津波が押し寄せた様子がよくわかった。倒壊した堤防の何百メートル後ろにあったホテルは2階まで鉄筋むき出しで丸裸。3階は壁が残っているものの窓は破壊され、4階からは全てが残っている状態で、少なくとも3階天井まで津波が来たことがよく分かった。頑丈なホテルは残ったものの、周りに広がっていた住宅地は何もなく更地になっていた。そしてここで多くの住人が亡くなられた。スーパー堤防があったがために、大丈夫と思って逃げなかった住民。スーパー堤防があったがために、海の様子が全く分からなかった住民。構造物で自然をねじ伏せようと思うこと自体が間違っているように思えた。自然と寄り添って生きることを選択してきた昔の日本人、万物に神様が宿っていると考えた昔の日本人の方が賢いんじゃないだろうか。海がそばにあるのに海を感じない生活って、どこかおかしい気がした。そして先人たちは石碑に『大地震が来たら大津波が来る。大地震が来たら高台に逃げろ。逃げる場所は前もって確保しておけ。家を建てるなら高台に立てろ』とちゃんと残している。これを生かすべきじゃないのかと思った。私はこんな事を思ったが、そう思わない人もいるようで、新たなスーパー堤防の建設が宮古市に限らず東北で始まっている。なんだか残念だった。
 

レイチェル・カーソンの警鐘

2014年4月5週号に掲載したコラムです。 

今回はレーチェル・カーソンの言葉を紹介しようと思う。レーチェル・カーソンについてはご存知の方も多いと思うが、世界で初めて化学物質の危険性を告発した海洋生物学者で作家でもある女性。1962年に出版された「沈黙の春」では、『殺虫剤などの「合成化学物質」の大量使用が生態系を乱し、生物環境の大規模な破壊をもたらし、それは人間の生命にも関わることになる』と警告した。この本によって世界は環境問題に眼を開かされたと言われている。
 
 「沈黙の春」の最終章「べつの道」にこんな文章が出ている。
『私たちはいまや分かれ道にいる。だがどちらの道を選ぶべきか、今更迷うまでもない。長い間旅してきた道は素晴らしいハイウェイですごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行き着く先はわざわいであり破滅だ。もう一つの道は、あまり人も行かぬが、この道を行くときにこそ、私たちは自分たちのすみ家の安全を守れる。そして、それはまた、私たちが身の安全を守ろうと思うならば、最後の唯一のチャンスといえよう。とにかく、私たちはどちらの道をとるか、決めなければならない。長いあいだ我慢したあげく、とにかく知る権利がみんなにもあることを認めさせ、人類が意味のないおそるべき危険にのりだしていることが分かったからには、一刻もぐずぐずすべきではない。毒のある化学薬品をいたるところにまかなければならない、などという人たちの言葉に耳をかしてはいけない。目を見開き、どういうべつの道があるのか、を探さなければならない。化学薬品による防除にかわる方法は、実にいろいろあり、どれも実際に利用できる。あるものは、すでにすばらしい効果をあげ…』と続く。
 
残念ながらカーソンは出版から2年後の1964年に、ガンで他界してしまうのだが、彼女の遺志を引き継いだ多くの人々によって化学物質は規制の対象となった。それでも、まだ科学物質は生みだされ、なくなることはない。
「化学薬品」のところを、例えば「農薬」に、「添加物」に、「合成洗剤」に、「原発」に置き換えれば、よりわかりやすく、いろいろなことに共通する貴重な指摘に思える。
カーソンが警鐘を鳴らしてから60年がたつ。少しずつ良い方向に向かっている面もあるが、いまだによい方向には向かっていない、むしろ反対方向に突き進んでいるようにみえるものもある。なぜ人間はこんなにも愚かなのか、一度破滅するしかないのかもしれないと思ってしまうが、迷惑するのは未来の子孫たち。やっぱり、一人一人が今深く考え、消費行動を変えていくのが一番手っ取り早いように思う。企業も売れるから作るのであって、消費者が買わなければ作らないだろう。企業の人たちも、自分の行動によって自分の子孫を破滅に追い込みたいとは思っていないはずだ。ただ、目先の利益に惑わされているだけだろう。
私たち消費者の『いい意味での不買行動』こそが、世の中を変えていく気がする。そのためには、まず相手を知ろう。何が良くって、何が悪いのか。それを正確に知る。全てはそこから始まる気がする。                       平成258
 

野菜の生産者会議に出席してみて

2014年3月3週号に掲載したコラムです。

一年に一度の野菜の生産者会議に出席した。残念ながら子どもの都合で交流会には出られないので、今年はあまり農家さんのお話は聞けないだろうと思っていたが、なにがなにが、そんなことはなかった。
 とにかく有機農家さんってのはすごい。生物学・植物学・化学・気象学・経営学等など、学問と思ってみえるかみえないかは別にして、全ての知識を総動員して考え抜いて、年間の計画を立てて、その目標に合わせて種を植え、堆肥を投入し、生育に合わせて追肥し、その間も今までの経験知を総動員して収穫まで結び付け、それを売って利益を確保する。これはもうただものではないわ、というのが偽らざる感想だった。知識も相当だし、経験も相当だし、努力も半端ない。そんな農家さんでも失敗はあり、名古屋生活クラブに300株出荷するには、失敗を考えると1000株植えないと出荷できる保障はなく、もし1000株採れてしまった場合も考えると販路をいくつももたないと、700株捨てることになってしまい、とても大変だということも分かった。どんな職業だって大変なのだが、会社では分業できることも、小さな農家さんでは一人もしくは家族だけで全てをやらざるを得なく、相手は気候に左右される生もので、そのうえ食べていくだけの利益を生み出さなくてはならない、しかもおいしくなければ売れない、その上無農薬でなんてことを考えると、凄すぎるとしか思えなかった。
 消費者としてできることがあるんじゃないか、できることはやりたいと思ったのだが…。でもそれはあの忙しい名古屋生活クラブにとっては負担になることだし…。いろいろ考えたが、ここからは消費者・会員目線で勝手な事を書かせてもらいます。社長や社員さんには迷惑な話かもしれないが…。
 
 まず、生産者も生活クラブも野菜をたくさん売りたい・買ってほしいと思っている。生活クラブは単品野菜よりセット野菜を買って欲しいと思っている。でも現実なかなか売れていないのは、めずらしい野菜が入ってくるためだと生活クラブは考えていることが見えてきた。消費者の私も買って応援したいし、儲けを出してもらって安定して出荷して欲しいと思っている。でもこの3つがうまくまわっていないのはなぜなのだろう?
 そういえば、私も最近、セット野菜より単品野菜を購入することが増えた。私の場合、セット野菜を買う基準は、安いからというより欲しいものが入っているかどうかだ。欲しいものとはどういうものかというと、あくまで私の場合だが、子どもが食べてくれるものだ。大人がおいしいと思っても、苦味がつよいとか香りが強いとか、珍しい野菜は、子どもには食べづらく、子どもが食べなければ、結局私一人で消費することになり、健康のために子どもに野菜を食べさせたいという思いは成就することはないので、食べてくれる単品野菜を頼むことになる。もうひとつは、一般的な野菜が毎回来るのなら何でもないのだが、めずらしいものや大型のものが3回続くと「また〜」となり、この農家さんのセットを買って応援したいと思っていても、「ごめんなさい、もう無理」ということになる。料理の腕がないのがそもそもの原因と言われてしまえば、そりゃそうなのだが、広く売りたいと思えば、料理の腕がなくてもそこそこ料理できる、ありふれた野菜が入っている事がポイントになるのかもしれない。そして、何より生で食べても美味しいもの、ゆでただけでも美味しいもの、つまり素材の味が美味しいことが一番であることは間違いない。
 えらそうに書いたが、これをすり合わせて三者のいい妥協点というか、着地点が見つかれば、きっと野菜は売れるのではないだろうか。この三者のすり合わせができるのは、間を取り持ってくれる名古屋生活クラブ以外にはありえなく、とっても大変なこととは思うが、ぜひともお願いしたい。そして顔や心のみえる関係を築くために、これからも交流会を続けてほしい。生産者の情報を開示して欲しい。生産者のお一人が、「昨年は体を壊して品目数が少なくてごめんなさい」と言われた。お目にかかったことがある方なら、大丈夫だろうか?と思うし、苦労が多いと聞けば、少しでも応援できないかと思うのが人情というもので、そんなことを思いながら消費できるのも、消費者の醍醐味のような気がする。
 出来すぎた時も、出来なかった時も情報が欲しい。事情が分かれば、ある程度は許容できるし、買って欲しいと言われれば、「いいよ」ということになろう。
 以上、勝手な事を書いたが、これはあくまで私の場合であって、他にもご意見はあると思います。ぜひ、何かお考えのある方は、ご一報ください。
どうか、野菜担当者だけが苦労するということがありませんように。そして、苦労しながらも頑張っておられる生産者と名古屋生活クラブを応援したい、という消費者の願いがかなえられますように。

 

高橋徳治商店の高橋社長

2014年3月2週号に掲載したコラムです。

先日高橋徳治商店の交流会に参加した。そして直接お話もさせていただいた。内容は震災から今までのこと、今しか話せない大切なことが中心だった。涙なくしては聞いていられない事実もあり、高橋社長も「感じたことをすぐに言葉にしないでください、市販品の言葉に変えて流してしまわないでください」とおしゃっていた。その迫力に私も文章化することを悩んだが、交流会に参加できなかった方にお伝えすることも私の役目かなと思い、うまく伝わるかどうか心配だが、書いてみた。

震災時、高橋社長は想像を絶するような体験をされ、死は身近にある、確実に誰にでもある、今生きている人全員が死に向かって歩んでいると思われたそうだ。社長自身死を考えたことが2回あったそうだ。死んで楽になりたいと。3つあった工場が津波で全てダメになり、70人以上の従業員を全員解雇し、家族も他県へ避難し、ただやらずには居られなかっただけとおっしゃっていたが、一人ぼっちで会社の片づけを始め、なぜ生きるのかを真剣に考えたそうだ。そんな中、取引先やボランティアの方々が次々訪れ片づけを手伝ってくれるようになったり、家族のいない避難所での他者との生活の中で、『人は人との関わりの中でしか生きられない』と気付き、『許された限られた時間をどう生きるのか』を真剣に考えたそうだ。

震災のフィルターを通すことができるようになった今、何が大切なのか、何が正しい選択なのかが分かるようになり、人として会社の経営者として、何をすべきかが分かるようになったとおっしゃった。

『我ことのように』というキーワードもいただいた。我ことのように相手を思いやる、我ことのように感じる、我ことのようにクレームに対応するなど、子育てにも友人関係にも仕事にも関わる言葉にドキッとした。私はどれほど我ことのように相手を思いやれたか…こんなことができたら、争いも不正もない平和な暮らしができるだろうに。

『皆さんの原点は何ですか?大事な事、譲れないことは何ですか?』と問われた。その原点について「一日に少しの時間でいいから考えてください」とおっしゃった。

そして食べ物の話。「震災発生時、ショックで食べることも忘れていたけれど、配られたおにぎりを食べた30分後に体が温まるのを感じた。私たちの体は食べ物でできているんだ、食べ物は命を与えてくれるものなんだと実感した瞬間だった」と。「だからこそ本当にいいものを、素材が生きているものを、体が応えてくれるものを、おいしいものを作らなければいけないんだ」と。

「消費者・生産者・流通業者は全て対等な関係であるはずなのに、今はあまりにも食べ物が下にみられているから、おかしな事が起こる」とも。「このどこかが声をあげ、まっとうな事を言い続ければ、大手スーパーなどが変わり、コンビニが変わり、世の中が変わる」と。「今のままだと不毛な価格競争しか残らない」ともおっしゃっていた。確かに添加物いっぱいの加工品が幅を利かせているし、食品偽装は相変わらず続いているし、にせものがいっぱいだ。

こんな社長だったからこそ、震災前の1/10の規模といえども、水産加工業者の中でいち早く再建のめどが立ったのだろう。とにかく心の中の核になるものがすごい。私は単刀直入に「3代目といえば、商売を潰すと一般的に言われるのに、どうしてですか?」と聞いてしまった。社長は笑いながら「僕もやばいんだよ」とおっしゃったが、この社長は明らかに違う。覚悟もすごいし、ぶれないものが間違いなくある。一歩も二歩も先ゆく日本人という感じだった。世の中が東北から変わるかもしれない、そうなったらいいのに、と思わざるを得なかった。        平成25年10月     稲川

これって何かに似てない?

2014年2月4週号に掲載したコラムです。

新聞報道もされたので、ご存知の方も多いかと思うが、高血圧治療薬ディオバンの話をしたいと思う。ディオバンは世界140カ国で販売され、日本でも2000年から販売が始まった。当初は血圧を下げる効果があるとされただけだったが、そのうち日本の5つの大学から降圧作用のほか、脳卒中・狭心症を抑える効果が高いと論文発表され、日本でも一千億円以上を売り上げる大ヒット商品となった。ところが最近、欧州心臓病学会誌がこの論文に重大な問題があるとして撤回した。なんと5大学全ての研究に、開発した製薬会社の社員が関与していたというのだ。それも統計解析の責任者だったというからあきれてしまった。何のために臨床研究に参加していたかは不明だが、もし販売目的でデーターを操作したのならば、研究者としてあるまじき行為。何を信じていいやら分からなくなってしまう。医療費をだまし取ったともいえるので、訴えられても仕方がないだろう。
私のような末端の薬剤師は、こういう研究から得られる情報を勉強会などで仕入れてきて、自分の知識とし、患者さんに時々お話するのだが、それがそもそも間違っていたとなると腹立たしい。今考えると、同じ系統の薬より合併症を抑える効果が40%以上も高いなんて『おかしい』と気付かなければいけなかったのかもしれない。今回の場合、副作用を隠したわけではなく、人の生命を脅かすものではなかったのでまだましだが、私のような積極的に薬を勧めない薬剤師だって腹がたつのに、本当にまじめに薬剤師業務をしてきた人はなおさらだろう。また、その研究を信じて処方した医師はもっと腹が立つかもしれない。この件に関しては、各大学が調査すると言っているので結果を待ちたいが、徹底究明はされないんじゃないかという見方をする人もいる。日本は国から支給される研究費が少なく、企業からの金銭的支援があってこそ研究ができる仕組みらしいので。
 これって何かに似てない?と思った。一つは農薬の問題。末端薬剤師や医師の心境と、一般農家の心境は似てない?何も知らずに良いと信じ込まされて売ってしまい(使ってしまい)、後々あれは違っていたと知らされる心境。なんか詐欺に加担してしまったような嫌な気分。添加物を使って食品を製造する人だって同じかもしれない。
そしてもう一つはエコナの問題。医療者がいいと言うから信じて飲んでいた患者さんと、トクホのマークがついているからきっと健康にいいのだろうと信じて買い続けた消費者の裏切られたような嫌な気分。なんか似ていない?ひょっとすると、あらゆるところでこんな問題は起こっているのかもしれない。
 どれも明らかな影響がすぐ出るわけではないから、ともするとそんなことがあったことすら忘れてしまいそうになるが、それはいけない、いけない。「ただちに影響はない」ってたしか原発事故の時も聞いた。こうやって丸めこまれて、日々流されていく自分が怖い。2度と起こってほしくないことには、声を上げるのが一番だが、それができなければ、誰が一番得をしたのかをよく考えて、2度と引っかからないぞ!買わないぞ!くらいは思っていたい。
 国や農協の指示に従い農薬を使う一般農家が、知っているならまだしも、自分の健康を脅かし、食べる人の健康にも影響し、自然環境をも悪くしているとも知らされずに農薬を使っているとしたら、気の毒に感じる。電力が足りない、原発は安いと思いこまされ、電力の出先を選べない国民も同じかもしれない。
もちろん情報公開はしっかりしてほしいが、ウソや不正を読み取れるだけの力、「あれっ?おかしい」と思える力はつけておかねばと、自分に言い聞かせた。 
 
平成25年7月

初めてやってみた

2014年2月3週号に掲載したコラムです。

畑仕事を上手にやってみえる方には、とってもレベルのひく〜い話なので、お許しくださいませ。
 恥ずかしながら私はまともに植物を育てたことがない。だから、育てる喜びも知らない。部屋に観葉植物を置く程度しかやったことがない。仕事、家事、3人の子の育児、猫1匹を飼うのが精一杯と理由をつけ、これ以上面倒をみるものは無理と近寄らなかった。それでも、理想の家庭像みたいなものはあるので、一応ベランダにはプランターが置いてあり、頑張って花を植えるけれど、そのうち水をやるのも忘れてカレカレ。うちに来てもらったけど申し訳なかったね〜と謝りながら処理するのが定番だった。
 でも農家さんの話を聞いたり、会員さんの話を聞いたりして、やってみようかなと思うようになった。名古屋市周辺部の会員さんは自分で畑をやっていたり、家族が畑をやっていたりして、生活クラブで野菜をあまり買わないとか、買いたいけど家にあるから買えないと聞いた。すごいなーと思うと同時に、何かあった時、『たぶん私が一番はじめに飢え死にする。食べるものの確保を全部他人任せにしているのはとっても弱い』と思った。これでは家族は守れない、自己防衛のためにも少しくらいはやらねばと思ったのがきっかけだった。
 ある農家さんから、「雑草には雑草の役目があって、せっかく来てくれた雑草を大事にした方がいい」と聞いた。そこで、プランター一杯に生えたぼうぼうの雑草のなかに、シソとバジルの苗を植えてみた。何日かたって見てみたら、シソもバジルも跡方もなく消え去っていた。探しても何もなく、本当にびっくりした。私が考えるに、草の勢いに負けて死んでいったのだと思う。あの草の量はプランターには多すぎたんだ、土の団粒構造を作るには有効な雑草も苗を植える時には抜かないといけないんだと思った。
プランターの雑草を全て抜いてみると、農家さんが言っていた通り、雑草の根っこのおかげで土はふわふわだった。そこに「古いから出ないかも」と言われてもらった枝豆の種をダメもとでまいてみた。ビールのお供に枝豆があったらいいな〜と思って。それほど期待していなかったのに、芽が出てきて、狭くてかわいそうなほどプランターいっぱいになった。そこで別のプランターに分けてみた。大丈夫かなと見守ること3日、どうも根を傷つけてしまったらしく、葉っぱの一部が変色してしまった。なぜ根を傷つけてしまったと思ったかというと、「キャベツの根を誤って踏んでしまうとそこにつながっている葉が茶色く変色する」と、前に農家さんから聞いたことがあるからだ。そういうことなのかと実感し、狭いプランターでは初めから適当に撒くのではなく、出るものと期待して間隔をとってまいた方がいいんだと思った。『期待して待つ』って子育てと同じ。やってみると腹に落ちる感じだった。
ずいぶん後で不耕起栽培について聞いたら、雑草の力を有効に活用するには、苗ではなくて種をまいてその後、草を根元から刈って種を上から覆うようにすると、適度に保湿・保温されて芽が出てくると聞いた。雑草は根だけ残っても光合成できないので、大きくならないそうだ。つまり種をまいて、そのあと刈るのがポイントだったのに、雑草の中に苗を植えたから負けてしまったらしい。
今、枝豆は生き生き育ってくれている。毎朝5時に水をやり、仕事から帰ると元気はあるかな?と見るようになった。この子たちも生きているんだと、実感できる。これだけ青々茂っているから、きっと実を付けてくれるだろうと楽しみにしている。
今回は私一人でやってしまったが、次回からは家族を巻き込んでやってみようと思う。一人では大変でも、みんなでかわいがれば負担も少なく済むし、土と親しむ生活はたぶん大切だと思うのでそうしようと思っている。                
 
平成25年7月

「無知は罪」と言う母の話

2014年2月2週号に掲載したコラムです。

 1年ほど前から薬局に患者として来てくださっている、ご高齢のご婦人Aさんがいつものようににこやかに入ってみえた。1年も経つとお互いいろいろな話ができるようになっていて、世間話をするうち、「私、昔小さな子どもを亡くしているんです。薬の副作用で」とおっしゃる。その薬は今でも使われている薬で、必要あって使っている方もみえるので、薬品名を伏せておきます。怖がらせてしまうといけないから…。今はほぼ安全に使われているので、知らなくても大丈夫です。
50年も前の話。当時は夢の薬として登場したのだが、副作用が多いことが分かって、今はとても慎重に使われ、余程でないと使われないと20年前の薬学部の授業で聞いた。Aさんいわく、「後になって考えると副作用の症状はかなり前から出ていたの。おかしいと思って主治医に相談すると、アメリカではもっと多い量を使っているんだから問題ないと言われて、飲ませ続けた。それがいけなかった」と…。当時のお子さんの症状は食が細い、ただそれだけだった。
 その後お子さんの体調は悪くなって、別の病院に緊急入院し、医師から薬の副作用によるものだと聞かされたとのことだった。もうすでに手の施しようもなく、そのまま亡くなったそうだ。
 Aさんは「私が無知だったから、子どもを死なせてしまったんです。後になっていろいろ尋ね歩いたら、あの薬の怖さを知っている医師はいたんです。言われるままに飲ませた私が悪かった。知識があったなら…。本当にかわいそうなことをしてしまった。無知は罪だと思うんです」「医師を恨んでもあの子は帰ってこないから、恨むことはやめました」と…。私は言葉を失ってしまった。「無知とは言えないんじゃないでしょうか。あの当時は知らない人の方が多かったと思います。今はそんなひどい使い方はしていません。副作用の報告が相次いだためだと思います」と言うのが精一杯だった。
 Aさんが帰られて、私は落ち込んでしまった。こんなことが現実にあるのかと…。いろんな人の犠牲の上に安全性が確立されたんだと思うと、なんとも言えない気分になった。はっきり言って、当時、一般の人がその新薬の副作用を知り得たとは思えない。インターネットの発達した現代とは違う50年前に、知りたくても知りようがなかったと思う。それでも、母は悔み、悲しみ続ける。
 夢の薬、夢の農薬、夢の添加物、夢の○○ってものには、やっぱりすぐには飛びつかない方がいいと改めて思った。自然界にもともとないものを化学合成して作り出す、もしくは自然界にあっても極微量なものを抽出などの技術を使って取り出すこと自体、自然ではないのだから、よほど慎重にしたい。時間が経てば研究が進んで、いい面も悪い面も解明される可能性が高いから、その時まで待ちたい。
 薬の開発にだけ絞って言えば、現在は農薬や添加物やトクホ商品やサプリメントとは比べものにならないほど、基礎研究に時間を費やし、販売前には動物から人間まで試験を行い、時間とお金をかけてやっとの思いで販売までこぎつけるようなシステムが出来上がっている。おかげで薬は高価なものになる。よくよく検討されるので、安全面は昔に比べて上がっていると思うが、市販後に副作用報告され、添付文書上の副作用の項目が増えるということはよくあることなので、よほど切羽詰まった状況でない限り、待った方がいいと思う。医薬品救済制度はあっても、取り返しのつかない例は末端薬剤師の私でさえ見ている。ましてや救済制度のない他の化学物質に関しては誰も救ってくれないんじゃないだろうか?
 Aさんは決して無知だったわけではなく、きっと食が細くて虚弱な子どもを心配する一生懸命ないいお母さんだったのだと思う。それでも、経験した人の言葉は重い。『無知は罪』というAさんのことを、私は決して忘れないと思う。
 
稲川

赤ちゃんと化学物質

2014年1月4週号に掲載したコラムです。

 最近、立て続けに化学物質が胎児に影響する話を聞いた。
「農薬である有機リンの代謝産物を測定すると、昭和40年代生まれの人からはたいてい検出される。それが第一子に移行する。有機リン系など蓄積性のある物質はほぼ全員持っていると言っていい。」
「30人の臍帯血から300種類の化学物質が検出された」
「生まれた時、最近の子どもはいいにおいがする。羊水が香料のようなにおいする」
私は恐ろしいと思った。つまり、赤ちゃんはお腹の中で、すでに化学物質に出会っているんだ。しかも40年以上たっても母体からはなくなっていない。
 また、「乳腺も汗腺の一つなので、母に不利なものは母乳の中に出てくる」という話もあった。
昔、レーチェル・カーソンの『沈黙の春』やシーア・コルボーンの『奪われし未来』を読んだので、当然起こり得ると想像できるはずだが、改めて聞くと当たり前じゃないという感覚ではなく、怖いと思った。という事は、私はそんなに化学物質を排除していないんだと思う。食べ物の農薬や添加物はできる限り避けているが、避け切れてはいないし、それ以外にも化学物質でできたプラスチックや化学繊維、印刷物などの恩恵を受けて生活している。
昔、水俣病でも妊娠中の女性は症状が軽く済んだという事実がある。胎盤を通じてメチル水銀が胎児に移行してしまい、大事な大事な子どもが胎児性水俣病になってしまったのだ。これは有機水銀なので重金属の影響に入るから化学物質とは違うが、同じような原理で化学物質も胎児に影響するのではないかと思う。
薬の方から考えると、酸性薬剤や脂溶性薬剤は脂肪にたまるとされている。脂肪が多い人はそれらの薬剤が体にたまりやすく、一旦副作用が出始めると長期に渡って苦しみ続ける。薬を止めても副作用が消えないのだ。こういう事が身近な化学物質でも起こるのだろう。胎児のいる子宮の周りは脂肪がいっぱいなので、当然起こりそうな気がする。
こう考えていくと、胎児はたまったものでない。今後妊娠する可能性のある若い人は気を付けて欲しい。また、将来次世代を生み出す女の子には、いいものを食べさせて欲しいと思う。うちはたまたま男の子しかいないが、男性の精子が年々減少しているという話や、受精率の低い精子しか作れなくなっているという話も聞いたことがある。
 
このあたりの真偽は、伊澤社長や外山さんに任せたいと思う。とにかく、証明されてからでは遅いので、みなさん気を付けましょう。そして、そんな危険なもののない社会ができたらいいですね。
先ほど、母乳の話を出したが、今授乳中の方やこれから出産される方は、早まって母乳を止めるなんてことはやめてくださいね。母乳には赤ちゃんの体にとってとてもいい成分が含まれるので、よくよく考えてくださいね。本当にお母さんがこんなことを考えなくても、安心して子どもを産み育てられる世の中にしたい。切なる願いです。
 
 
稲川


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