自然体験

2014年10月4週号に掲載したコラムです。

 自然体験と聞くと、そんなのどこでも出来るじゃない、と思う方は幸せな方。私のように名古屋で子育てしている人間にとっては、子どもを自然に触れさせることは難しく、公園で虫取りするのが関の山。自然に触れなくても生活できてしまい、なくても別に不便じゃなく一日が過ぎて行く。でも、おそらくそれってあんまり良くないよな〜という思いもあって、そんなことをふと口にしたのがきっかけで、縁あって春と初夏の2回、有機農園で自然体験させてもらえることになった(残念ながら生活クラブの生産者さんではありません)。
せっかくの機会なので、友人親子を誘い子ども達が大勢で遊ぶことになった。この農園は敷地が広く、なだらかな山の南面をうまく利用した農園で、山から沢水が流れ込むのを利用して池を作り、田んぼに水を引き入れている。山に囲まれた土地なので、早く日が陰ってしまう部分もあり一見不利にも思えるが、そこには日光が少なくても育つ植物を植えるなどの工夫がされ、頭の上には果物を育て、実を守るためにかぼちゃも地面に置きっぱなしにせずツタを少し高い所に這わせ、地面には大根・ごぼうなどの根物やキャベツなどの葉物を育て、ふきやわらびなどの山菜も育て、野の花も育て、空間を立体的に有効活用した、子どもの絵本から飛び出してきそうなとても美しい農園だ。当然農薬も使っていないから、蝶、バッタ、イモリ、カエル、ドジョウ、メダカ、ヘビ、ウグイス、ツバメなどの生き物がいっぱいいる。生物が多様で、喰う・喰われる関係がちゃんと存在しているから、これでバランスがとれているのだろうと想像できる。
別の農家さん曰く、普通農家は自分の農地に人が入るのを嫌がるそうだ。それはそうだろう。商品価値がなくなってしまうおそれが十分にあり、反対の立場なら子どもがいる私だって嫌だ。子どもに入っていいよと言ってくださる、とても貴重な農家さんだと分かってお邪魔したのだが、実際子どもと自然体験をしてみて、その農家さんの思いがひしひしと伝わってきた。
子どもたちは農園に着くなり、タモや虫籠を持ち、あちこち勝手に走り始めた。まずお話を伺ってから、と思っていた親たちをよそに、勝手に遊び始め、特に男の子はそわそわしてしまって、話どころではない。池のおたまじゃくしの量が半端なく、真っ黒いものがウジャウジャうごめくから、親も子も奇声をあげて驚いたり、水の中に入って「始めてつかまた!」と喜んだり、もう楽しくて楽しくて仕方がない。カエルを手でギュッとにぎり、周りの子から「かわいそう」と指摘され、「あっ、そっか」と力を緩めて「ごめんね」と謝ったり。放し飼いのニワトリに追いかけられ、足をつんつん突つかれて、怖くて転んで泣けてきたり。日常ではなかなかできない体験をさせてもらった。この放し飼いのニワトリ君、実は鶏舎に入れられないニワトリとのこと。体は大きく立派なニワトリだが、鶏舎に入れると他のニワトリにいじめられて全くごはんが食べられなくて痩せていくので、見かねて外に出してやったら、イキイキして元気になったそうだ。このニワトリ君が追いかけくるということは、「僕の陣地に入って来るな」というサインらしい。その話を聞いた子どもたちは追いかけてくるニワトリが悪いわけではなく、後から入ってきた自分たちが悪いのだと気づき、「邪魔してごめんね」と語りかけていた。そこらへんに生えている草がニワトリの大好物だと教えてもらった子どもたちは一斉に草を採りに行き、鶏舎の外からニワトリに与えると、ニワトリたちはすごい勢いでついばみ始める。それを子どもは「私人気者なの」と表現し、いやいや草が好きなだけなんじゃないの?と思ったが、子どもたちはニワトリと直接心の交流を始め、あっちでもこっちでも虫や動物と打ち解け、思いやる様子が手に取るように分かった。
子どもたちは大人より嗅覚も味覚も敏感で、「ニワトリもヤギも臭くない」という。そして食べられる野草を教えてもらい摘んで、天ぷらにして食べたら、普段そんなに野菜を食べない子どもがパクパク。「たんぽぽの天ぷらおいしいね」「ヨモギはもっとおいしいよ」といろいろ飛び交っていた。そして鶏と野菜のスープ。昨日まで鶏舎で生きていた2歳くらいの鶏を選んで絞め、解体して、今日スープになった話を聞いた。子どもたちは気持ち悪がるかと思ったら、毛皮と内臓以外のもの、つまり目玉も頭も骨も何もかも入ったスープを飲み、「こんなおいしいものは初めて!」と言って10杯も食べた子がいた。命をいただくという経験が少しできた気がした。
鶏舎や山羊小屋が臭わなかった理由は、抗生物質を使っていないからだそうだ。抗生物質を使うと腸内細菌のバランスが崩れ、たちまち臭くなるそうで、人間も同じなのだろうねという話に発展し、安易に薬や病院に頼ってしまう自分たちの考え方にも一石を投じられることになった。そして、ニワトリ君。居場所を変えてやるだけで、勝手にイキイキ成長していくのだったら、自分の子どもがそんな境遇に置かれたなら、別の居場所を見つけてやろうと思えてくる。
後日談だが、散歩中「このたんぽぽおいしそう、天ぷらにしよう」と子どもに言われ、散歩の風景が変わったと、友人が言っていた。うちでも変化があった。5才の末っ子は、あの日から緑の野菜が食べられるようになった。それまでは、緑の野菜は見ただけで嫌がっていた。それはおそらく生まれて初めて食べた青いものが、青臭かったためだろう。一種の防衛反応みたいなもので仕方ない、時が来るのを待とうと思っていたが、この体験で、一気にその嫌な思い出が塗り替えられたようで、親としてはありがたかった。そして、11才の次男もこの日から天ぷらが大好きになり、外食に行っても、洋食ではなく、天ぷらのある和食店を選ぶようになった。なるべく和食がいいと思っている私としては、嬉しい変化である。
2回お邪魔したことで、オタマジャクシがカエルに変わっていたことも見ることができた。畑のようだった所に水が入り、稲が植えられた田んぼに変わっていたことにも気づけた。おそらく何回も行くことで、子どもたちは季節の変化を感じ取り、五感を磨いていくことになるのだろう。田舎なら当たり前の風景だが、残念なことに都会にはまったくこんな風景も音も匂いもない。ビルやネオンばかりの風景に、車の音に、排気ガス。1年中ほぼ同じ風景に寒いか暑いかの違いくらい。私は子どもたちが遊びを作り出す姿に感動したが、田舎の子の遊び方はこんなものじゃないらしい。もっと野生的で、泥だらけになって遊ぶらしいから、子どもたちの中にはまだまだ遊びが広がる可能性を秘めている。
こんな体験をさせてくださった農家さんに感謝だか、農家さんの目的はここにあるという。この体験をした子どもの心には、今日の体験が何らかの形で残り、それが心の原風景となり、大人になった時に世の中の間違いに気付くようになると。自然の中で小さな命を体験した人が将来、社会のトップに立ったならば、きっと良い社会ができると。そういう思いで、農産物が少々減収になっても、子どもを農園に受け入れているそうだ。そして、親と子がセットで体験することもポイントで、子どもの変化を感じると、親も意識が変わり、生活に少しでも自然を取り入れるようになったら、今の世の中も変わると。私もやっぱり影響を受け、去年は枝豆だけだったが、今年はベランダでトマト、ミニトマト、きゅうり、ナス、ピーマン、ニラ、シソ、バジルを一株ずつ子どもと一緒に作っている。
子どもたちは毎日様子を見て、「まだ採ってだめ?」と毎日聞く。収穫できると、今まで嫌っていたくせに、おいしいと言って食べる。時々カラスに持って行かれる事もあって、「だから早く採ろうって言ったのに」と怒りながらも、「鳥さんはよく知っているね」という話にもなる。味自体はやっぱりプロが作った野菜の方がおいしいとは思うが、子どもたちは自分で育てたものが殊のほかおいしいと感じるらしく、見てくれは悪くても嬉しそうにおいしそうに食べている。

今回、都会に住む人間も何かできないかと思い、農産物やジャムや漬物の加工品を買わせてもらった。これがとってもおいしくて、結局私たちが得したばっかりで、農家さんには申し訳なかった気もしたが、都会の人間が恩返しできるとすれば、やっぱり買うという事か、労働くらいしかないと思う。
都会の人間にとってこのような体験は、お金には換算できない貴重な体験である。何か人間の根っこの部分を揺さぶられるような体験であり、言葉にすることは難しいが、とても大切なことを思い出させてもらえる体験である。子ども達のキラキラした反応を目の当たりにすると、自然の力、農業の持つ教育力、感性を育てる力はすごいと思う。この体験は大自然の中でもおそらくできるだろう。しかし都会の人間が大自然の中に行っても、食べるという体験がなかなか難しい。そもそも何が食べられるものかも、調理方法も知らない親にとっては、農園で教えてもらいながら食体験ができることはありがたい。
この活動は農家さんにとっては他人の子どもに対する活動であり、結果が出るのはその場ではない。効果があるのかないのかも確かめようがない。農業の持つ教育力を信じられなければ、続けていけないだろう。地道な活動で、30~40年先、へたすると100年先を見据えた活動になり、親も目先のことだけではない子どもの将来や、孫の世代までも視野に入れた活動だと理解する必要がある。
このような農産物を作ることだけではない農の力、農の教育力を活用出来たら、都会の人も田舎の人も、みんなが幸せになる気がする。都会と田舎がつながって、お互いができることをして、いい関係を結んで、都会の人がどうやってできたものかを想像しながら食卓を囲むようになれば、野菜をただのものとして扱うことはなくなるのかもしれない。工業製品のように作られたきれいで安いものを欲しいと思わなくなるかもしれない。むしろ、きれいなもの、極端に安いものには裏があるんじゃないかと、五感が拒否するようになるかもしれない。他のものの命をいただくこと、「いただきます」の本当の意味が理解できるようになるかもしれない。生かされている自分を感じることができるかもしれない。結局、どんなに文明が進んでも、人間にとって本当に大切なことは変わらず、その大切なことが自然や有機農業の中には詰まっている気がする。時々、都会の人間がわざわざ田舎に足を運んで、まねごとでもいいから田舎を味わい、自然を感じ、美味しい農産物に触れることはやっぱり必要なことだと思う。幸い、生活クラブでは生産者さんの農園などに伺い体験させてもらえる企画がある。私も時々お邪魔させてもらっているが、これを利用しない手はない。一度行ってみませんか?
      
平成268月    稲川


名古屋生活クラブ

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