丸友しまか訪問

2014年5月3週号に掲載したコラムです。

私を含め3人のスタッフが島香さんに会いに岩手県宮古市まで行った。宮古市はとても遠い。名古屋からは飛行機で花巻空港に降り、バスで盛岡まで行き、乗り継いで宮古市に入るというルートで、なんと6時間もかかる。そんな遠くまで出かけるのは楽しみでもあったが、それ以上に島香さんにとって、何も得るものがなかったらどうしようという気持ちの方が強かった。というのは、今回の訪問の目的は丸友しまかの売り上げ回復。震災後、原発事故の影響で売り上げが激減し、3年たっても回復までに至っていない。震災後、連絡すらしてこなくなった取引先もあるそうで、その分も考えると売り上げは相当落ち込んでいる。そして東電への損害賠償請求でもご苦労されていると知らされての訪問だったからだ。私もいいアイデアはないかと考えてみたが、私一人では底が知れているので、事前に会員の友人数名にお願いして、どんなものが欲しいか、改善点は何かなどを出してもらった。なるほどと思う意見を携えて出かけられた事は本当に良かった。友人たちに感謝。仲間が多いってやっぱりいいな〜と思った。
丸友しまかの社屋は閉伊川の川沿いにある。閉伊川は宮古湾につながる川で、鮭が溯上し産卵したり、鶴が舞い降りる美しい川でもある。水産加工業というから港のすぐそばにあるのだろうと思っていたら、海に近いは近いが、どちらかというと山の登り口を上がった所にあり、海と山が近い三陸特有の地形のため、木々に囲まれたここにあるのだろうと推測できた。この立地のおかげで、津波の時は川を登ってきた海水に恐怖を感じながらも、寸でのところで津波の被害は受けずに済んだそうだ。無事でよかったと思ったのも束の間、原発事故が起き、奈落の底に突き落とされたと感じたそうだ。
島香さんのご主人は元々大型運搬船に乗る船乗りさんで、14ヶ月もの航海に出るため、家族との時間を持てないことを考え、船を降り独立されたそうだ。当初から儲けのためより、安全なもの、鮮度がいいものを届けたいという気持ちが強かったので、自然食品店を中心に取引されており、基準が厳しいことや販路が少ないなどの問題を一つひとつ解決し、ご夫婦で苦労を共にしながら二人三脚で経営されてきたそうだ。ところが原発事故でまた一からやり直しになってしまい、なんという人生なのでしょう、と笑いながら奥さんが話されていたのが印象的だった。丸友の友は独立時に多くの友人に助けてもらったことを忘れないために名付けた社名とのことだった。これ一つとってもお人柄がわかる。
宮古ではまず漁協を見せてもらい、どんな魚種があがっているかを確認した。以前だと考えられないような魚種があがってくるそうで、大地震により海に何らかの異変が起こっているのだろうとおっしゃっていた。そのために、予測がつきにくく、出荷の保障が難しいとおっしゃっていた。放射能の影響がほぼない現状だが、“絶対”大丈夫と言い切れるものを出荷しようと思うと、魚種が限られてしまうそうだ。港には魚以外のもの、つまり津波の傷跡がわかるぬいぐるみや生活雑貨などもあがっていた。
二日の間、いろいろな話をしながら、お土産屋などを回って宮古で採れるものを観察しながら、商品開発について議論した。魚を食べるのにさばく所からやるのもいいが、仕事から疲れて帰って来てさばく所からやらなくてはならないとなると、なかなか無理で、そのために魚から遠ざかってしまうのも事実なので、温めるだけ、皿に盛るだけの商品も嬉しいし、全部出来合いだと主婦としては作った感がなく空しいので、少し手を加える余地を残した商品や、いろいろなメニューにアレンジできる商品が欲しいと要望した。そして、肉より魚の方が健康度としては上で、親もそれを分かっていて、子どもに魚を食べてほしいと願っているけれど、子どもは肉を欲しがる現代なので、子どもが欲しいと思うもの、子どもには分からないように混ぜ込めてしまうものもお願いした。島香さんはこんなものが商品になる可能性があるのかと、目からうろこが落ちたとおっしゃってくださり、今、商品化に向けて試作品作りが進行している。ぜひ商品化できた際には、一度ご賞味いただけるとありがたいです。そしてご意見をいただけると、もっとありがたいです。島香さんも東北と東海では味付けが違うから、なかなか味付けには苦労するとおっしゃっていましたので、ご意見が生かせると思います。
ちなみに、帰ってから、丸友しまかの加工食品で食べたことのないものを買ってみた・・・・
二日の間、いろいろな話をしながら、お土産屋などを回って宮古で採れるものを観察しながら、商品開発について議論した。魚を食べるのにさばく所からやるのもいいが、仕事から疲れて帰って来てさばく所からやらなくてはならないとなると、なかなか無理で、そのために魚から遠ざかってしまうのも事実なので、温めるだけ、皿に盛るだけの商品も嬉しいし、全部出来合いだと主婦としては作った感がなく空しいので、少し手を加える余地を残した商品や、いろいろなメニューにアレンジできる商品が欲しいと要望した。そして、肉より魚の方が健康度としては上で、親もそれを分かっていて、子どもに魚を食べてほしいと願っているけれど、子どもは肉を欲しがる現代なので、子どもが欲しいと思うもの、子どもには分からないように混ぜ込めてしまうものもお願いした。島香さんはこんなものが商品になる可能性があるのかと、目からうろこが落ちたとおっしゃってくださり、今、商品化に向けて試作品作りが進行している。ぜひ商品化できた際には、一度ご賞味いただけるとありがたいです。そしてご意見をいただけると、もっとありがたいです。島香さんも東北と東海では味付けが違うから、なかなか味付けには苦労するとおっしゃっていましたので、ご意見が生かせると思います。

ちなみに、帰ってから、丸友しまかの加工食品で食べたことのないものを買ってみた。「ぶっかけまんま」「さんまの田舎煮」はとても美味しくて、子ども3人が争奪戦。今まで丸の魚を買っていたけれど、これなら私が作るより子どもうけするし、出すだけなので簡単。なんでもっと早く利用しなかったのだろう。魚は魚で買えばいいけれど、手軽に毎日魚と思えば、加工食品利用もありですね。添加物は使ってないから、家で作るのと変わらない安全さだし。
 
最後に、東北復興のことを少し。宮古市田老地区は津波により地域ごと壊滅してしまった地区。そこには、ただの堤防ではなく、スーパー堤防というとてつもなく背の高い堤防があった。そのスーパー堤防の上に登って下を見下ろすと、堤防の一部が根元から折れ、そこから津波が押し寄せた様子がよくわかった。倒壊した堤防の何百メートル後ろにあったホテルは2階まで鉄筋むき出しで丸裸。3階は壁が残っているものの窓は破壊され、4階からは全てが残っている状態で、少なくとも3階天井まで津波が来たことがよく分かった。頑丈なホテルは残ったものの、周りに広がっていた住宅地は何もなく更地になっていた。そしてここで多くの住人が亡くなられた。スーパー堤防があったがために、大丈夫と思って逃げなかった住民。スーパー堤防があったがために、海の様子が全く分からなかった住民。構造物で自然をねじ伏せようと思うこと自体が間違っているように思えた。自然と寄り添って生きることを選択してきた昔の日本人、万物に神様が宿っていると考えた昔の日本人の方が賢いんじゃないだろうか。海がそばにあるのに海を感じない生活って、どこかおかしい気がした。そして先人たちは石碑に『大地震が来たら大津波が来る。大地震が来たら高台に逃げろ。逃げる場所は前もって確保しておけ。家を建てるなら高台に立てろ』とちゃんと残している。これを生かすべきじゃないのかと思った。私はこんな事を思ったが、そう思わない人もいるようで、新たなスーパー堤防の建設が宮古市に限らず東北で始まっている。なんだか残念だった。
 


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